参考書探し

雨がふったりやんだりでだるいなぁと思いながら、かねてから技術試験用の参考書が欲しかったので、専門書も扱っている大手の書籍店に出向いた。そちらの方面は、久しぶりにいったが、街並みはかなり変わっており、現代社会の変化の激しさと、それを可能とする建築技術などのすごさを改めて感じた。そこに何があったのか思い出せない場所も多く、自分の関心がない物事に対して、人はひどく曖昧な記憶しか持たないものだ。今の社会において、ひとたび街に出れば様々な広告がでかでかと張られており、一見それらが有効性を発揮しているようにも思えるが、実際のところはどうなんだろうか。それらが撤去されても思い出せない。その程度の認識であっても、広告を打ち出すことに意味はあるのだろうか。仮にそれが意味のある行為だとすると、それはそれで恐ろしいものだとは思わないだろうか。なぜならば、人の記憶に残らなくても、効果がある広告というのは、無意識に影響を与えている可能性があるからだ。普段は思い出せなくても、ビールを選ぶときに広告が思い浮かぶ。その時々において選択肢を増やす。これに意識的な拒否権は存在しない。企業側は与えたい情報を発信するだけでいいのである。それが薬であろうが毒であろうがこちらはそれを受けざるを得ない。そして人々の意識に影響を与え、人は行動することとなる。人は自分は自分の意識で動いており、誰からも洗脳を受けていないと通常考えているだろう。その認識はいつまで保たれるのだろうか。こういった情報テロはこれからの時代より増えていくと思う。そういう時代の中で自分が自分であると堂々と宣言するには何が必要だろうか。